河内地域センター
                             

こうち再発見 ぶらぶら河内 5月15日(月)

 5月15日(月)9:30〜12:00
 河内学習支援センターと河内6地域センターの共催事業講座で
 第1回目を河内地域センターが開催。   町内の素晴らしい景観、めずらしい、面白い所を発見し、河内町をアピール。

 講師:前河内地域センター長 緒方 卓壯 様 河内生まれで河内のことを良く知り尽くして降りますので、案内していただきました。
 

 まずは、河内支所へ集合
 準備体操をして、歩きましょう。
‖膰供’酩弩知事銅像
 河戸出身、政界で県議、衆議院、県知事として活躍されました。
 この銅像は、昭和38年広島出身彫刻家 円鍔 勝三 氏が成作。
 昔は、奥条も棚田がきれいでした。現在は、家も建ち、田はコンクリートで区切られ少し淋しいです・・・
 岩戸別神社 通称 王子の宮
祭神は「手力雄命」てじからおのみこと
毎年夏祭り(祇園祭)が行われます。
7月15日(土)18:00〜夜神楽
是非お越し下さい。
給水貯水池跡
 河内駅は、蒸気機関車の給水駅でした。
 日本ヶ峰の正反田池から水を引き、ここに貯水池を。
 9島スカイアーチ
 沼田川渓谷をまたぐ長さ800m、アーチ支間380mの橋。アーチ支間の長さは日本一、世界でも9番目の橋です。
 駅中心地の元町、本町、栄町が一望
 いわいい道標
 芸州大河村の石碑 江戸より2百2里、左は安芸の国分寺、右は奈良の都と記されている。
 ノ栄寺山門 浄土真宗本願寺派
 
 皆様、ご覧ください。山門の上から仁王様がにらみを利かせています。
 Δ稲荷さん
 大正時代材木商の随行さんが商売繁盛を願い祭られた。
 П苗は官庁衛
 昭和30年頃まで、公会堂、警察署、河内役場、柔剣道場、消防屯所、西条耕地課河内出張所がありました。
 現在は、河内福祉会館、県央商工会です
 ┗苗(小路)路地 河内を知るには路地から・・
 家と家の間に細い小路が多くある
 盆踊り
 昭和35年頃まで街の中で盆踊りが行われていた。
 明治、大正、昭和時代この三叉路は町の中心地でした
 胡子神社
 河内町の商売人の繁盛を願う
 
 毎年11月21日ごろ、胡子講祭が開催
小路
小路、小路沢山ありますよ。
小路
 河内駅 明治27年6月10日 開通
 蒸気機関車の給水設備がある駅でした。上り下り列車は、長きは数10分、短きは数分停車しました。
引込み線があり、石炭ガラを捨てた山の跡が今も残っている

昭和天皇のお迎え、見送り(広島団体の時)昭和25年頃

ヘレンケラー女史も2回来られる お迎えと見送り
広島銀行
 明治32年に豊田貯蓄銀行河内支店として設置
 大正9年に株式会社 芸備銀行に
河内木材合資会社

河内町の繁栄に貢献
河内大橋
昭和7年に東京日本橋を参考にし、「河内小橋」と共に建設される。大洪水にも耐え、90年近い歴史を刻み、レトロ調の姿で愛され続けています。
是非見に来てください!
忠零塔
 大正13年に、日清戦争以来の中河内、下河内出身の戦士、病没(びょうぼつ)者を祭ってある。
旭祥橋 
元競馬場(胡子講競馬)
明治35年頃につくられ、毎年、胡子講競馬が昭和28年まで開催された。
佳臉掬傾弔澗┛無念碑
大正元年に医師 藤野福太郎氏が自費で造られた。
 題字 陸軍大将 福原 安正氏

町民の憩いの場でした
 
渦脇盥眦学校
河内高等学校跡地
福原 稲造銅像 創設者
元々は女学校でした。
昭和6年設立
河内新四国八十八石仏 3番、4番
石工職人の森久真空は、遍路師となり、大正12年に四国に渡り、帰町後88の菩薩像を彫刻し大正15年に安置
碍屬領
 発祥公園付近は、ホタルの群棲地で6月に入ると多数のホタルが飛び交う季節となり、毎年沢山の方がホタル観察に来られる
21 椋梨川(リバーサイドフェスティバル会場)毎年7月最終日の日曜日に開催、前日は前夜祭もある

町内外から、沢山来られます
竿祥公園の桜
 町民の憩いの場
 毎年、3月末から4月中旬 午後6時30分〜9時30分まで提灯の灯りの下で夜桜が楽しめます
22 手押し井戸
 昭和42年河内町上下水道の給水が開始されるまで、各家にありました。
 ゴミ箱
 昭和40年に中河内塵がい焼却場が出来、各家庭にセメントゴミ箱が置かれ、毎週1回ごみ収集が行われた
24水野酒造
大正6年に創業され、白壁の倉、煙突が当時の名残りである
 昭和の俤を残す、本町通り、深山通りです。
講崎商店(河内劇場跡)
26 河内劇場(河内座跡)
大正元年に建設、当時、河内町大建築物であり、河内町唯一の大衆娯楽場でした
 講崎商店の横のお稲荷さん
 
28 岩戸訳神社参道の鳥居
(謎の隠し鳥居)

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